こんな人も生きてます。

強迫性障害を患う、とある主婦の日常。

もう心底育児やめたいって思う時(※暗い話注意!)。

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数分どころか数秒の間に事故が起きた時。

 

事故は起きる時もある、起きない時もある。

何が危なくて何が危なくないかの

判断を間違えたのは自分だけど。

 

何で?っていう思いもそこにあって。

正直、素直に反省できなくて。

 

そしてこれが原因で息子に

何か起きたらどうしようという不安もあって。

 

子供に何かトラブルが起きる度に

理不尽と罪悪感と不安でいっぱいになる。

 

意思の疎通が出来ない子供を

無傷で育て上げる事がどれだけ凄い事か、

親になってからつくづく思う。

 

子供が聞き分けの良い子かとか、

親がしっかり見守ってるかとかで

事故にあう可能性を大きく下げる事はできるだろうけど

ゼロにする事は出来ない。逆もまたしかり。最後は運。

 

今は自分にできるだけの事をして、

息子の運がこれ以上悪くならないよう願って。

 

そしていつか、息子が大きくなって成人した時

「貴方が小さい頃は本当大変だった」って言いたい。

その後に「今は大分楽になったよ」って言えるか

「今も大変だけどね」と言っちゃうかはともかく、

 

どちらにせよ笑顔でそう言える親でありたい。

羨望と絶望と希望の間で。

漫画も文も暗い話なので そういうのが苦手な方はお戻りください。
暗い内容の割に格好いいタイトル。 希望のポジティブ感が凄い。

この間、寝かしつけ云々語ったけど、 数ヶ月前にもそれ強く思ってたみたいで 描きかけの漫画を見つけたので描ききった。 どれだけ長い間悩んでるの、私。

子供の発達における羨望と絶望と希望。

最近何でもない事で 絶望が襲ってくる。

例えば息子よりずっと月齢下の子が 流暢に喋るのを耳にして めっちゃショックだったんですけどーw とかもう、思うだけでネガティブ。

wつけても漂うネガティブ臭。どんだけ。

生暖かい視線が怖くて リアルじゃ絶対に言えないわ。 誰が悪いって話でも無いし。

そして「え?まだ絵本破るの?」 とか言われるだけで家で涙流す。 現在進行形で破ってます。サーセン。

…まあこんな感じですが、 その事に目を背ければ割と平和です。 (無理やりまとめた感が酷い)

親がそんな事でいいのかとも思うけど ただ考えれば考える程 息子に辛く当たってしまうから 今は考えるのやめたいねん…。

その代わり、今私ができる事は やっておこうと色々動いてるので この辺は落ち着いたら 振り返る形で冷静に語りたい。

いつ言葉の爆発期が来て 今の悩みが吹っ飛ぶかもしれないし。

まさに羨望と絶望と希望と間で 生きている今日この頃です。

多分、息子が何か喋ったら その度に漫画数本描いて 調子乗った事語ると思いますが 大目に見てやってください。

猫の多頭飼いと転嫁行動(過去の私の失敗談)



「転嫁行動」という現象がある事を全く知らなかったので 猫を駐車場に戻して帰ってきた時は本当にビックリしました。

野良猫が可哀相だな、と思って行動した結果、 誰も幸せになってないという笑えない失敗談です。 嫌な思いをされた方、ごめんなさい。

□■以下は安易に猫を招き入れた事に対しての反省。■□ (グチグチ言ってるので苦手な方はスルーお願いします…)。

ここで自分を取り繕っても仕方がないので正直に言います。 この時は(野良猫が可哀相だな、自分に何か出来ないかな)と しか思っておらず、周りへの迷惑まで考えが及びませんでした。

当時住んでいたマンションでは猫の複数飼いは 「敷金を匹数×家賃○月分払えばOK」だったので、 その分と避妊・虚勢手術するお金位は出せるな…と。

結果こうなってしまって、しばらく自己嫌悪に陥りました。 子供ならまだしも、20も半ば過ぎてるのに何やってたんだか…。

ただ、この時は純粋に猫が大好きだった私だけど ちゅー太が生まれて以降、猫にストレスも感じるようになってるから、 この時、私に拾われなくて結果的に良かったのかも知れない。

マンションを引っ越す少し前に、その時の野良猫が外で 同じマンションの住民に可愛がられてるのを見られたのが 私にとってせめてもの救いかなぁ…。

私が登校拒否をやめた理由。・1


登校拒否になった理由を描いたなら、やめた理由も描かないとなーと思い もう少しだけこの話を掘り下げていきます。今週中に終わります。

この時は「○学生なのに留年!?本当に!?」で頭が一杯でした。 (その前の年はその年以上に休んでいたので尚更。) 怪我や病気等といった、やむをえない事情の留年ならともかく (こんな理由で留年になるのは絶対に嫌だ!!)と必死でした。

からかってくる人間に対しては (辛いよ…何でこんな事言われるの…?)から (お前らの都合で私の人生潰されてたまるか!) ぐらいの感覚に変わりました。 今と違ってSNSはおろかネットも広まっていない時代+暴力は無かったので 悪口とボッチ晒しさえスルーできれば私は登校できたのです。

改めて思い返すと、めっちゃゲンキンな奴です…。 私の場合結局「休んでいても何とかなる」という甘えがあったんです。 ダラダラ行ったり休んだりを繰り返す私の尻を先生が叩いた感じです。

ただ、留年と脅されただけではなくて、先生は先生なりに 私にとって少しでも過ごしやすいようしようとしてくれたのが感じ取れました。 少なくともこの時は休み時間に一緒に話す事ができるグループがいました。 多分先生が何か言ってくれたんだと思います。だから登校できたんだと思います。

登校拒否する以前にも話しかけてくれる子がいたり、手紙をもらったり、 何だかんだでグループに入れてくれる子がいましたが、 その時は仕方なく感というか、何処かぎこちなさがあって、 (先生から何か言われたのかな…)と捻くれた考え方しか出来ませんでしたが

先生から何か言われたのだとしても、それで仲間に入れてくれようとした、 私を助けようとしてくれた人の勇気や優しさが、確かにそこにあったのに。 「仕方なく(仲間に入れてあげる)」に対する劣等感や申し訳無さの方が強かった。 話しかけてくれる子に対してキョどってしまってちゃんとした返答が出来なかった。

過去を振り返ればイジメやぼっちに対する恨み辛みも勿論ありますが 当時の自分の性格の悪さと態度や黒歴史への反省や後悔も付きまとってねぇ…。

イジメられた記憶や感覚は徐々に薄れていってるけど あの頃の反省や後悔は一生消える事は無いだろうな。

イジメより怖かった事(暗い話なので注意)。


この頃の私はデブで体臭アリでだらしない服装で、でも見栄っ張りで卑しくて…と、 このような状態になるべくしてなった状態だったのですが…辛い物は、辛い。

正直、イジメにあっていた時期の細かい記憶がありません。 ただ、かなり嫌な思いをした事や「自分がした嫌な事」はハッキリ覚えています。 どうてもいい記憶より、むしろそっちの方を忘れたかったな…。

そんな事で登校拒否に?と思われるかもしれませんが ぼっち晒しの恐怖は、一度体験した人間じゃないと分からないと思います。 「クラスに仲のいい人が1人でもいれば防げる事でしょ?」 と思われるでしょうが、これがなかなか難しい…。

友達がいても、その友達に自分より仲の良い友達がいれば 人数制限のある好きな者同士の場合、ハブられる可能性がある訳で…。 相手にとっての自分の価値が垣間見えてそれがまた辛い…。 (ですよねーw)と脳内で明るく自虐してみても心はズタズタで…。

ずっと孤独だと孤独に慣れる?いいえ、人それぞれです。 少なくとも私はぼっち晒しされる度に孤独に弱くなりました。 あの自分のせいで流れが止まるあの空気、もう二度と味わいたくない。

しかも、好きなもの同士で~の頻度が高かった。 修学旅行とか、班決めとか遠足のお弁当タイムならわかるけど、 そんなの隣の席とか出席番号とかくじ引きとかでいいじゃんって 思う事も好きな者同士で、とか言われる…不意打ち晒し怖い…。

何故普通の授業の時にぼっち晒しの刑にあわないといけないのか…。 しかも先生、それだと確実に1人はみ出ますー!って時にも やってきたからね…そして面倒臭いって視線向けてくる…理不尽…orz

そして私がいない方がスムーズに授業が進むし、私も傷つかなくてすむ。 嫌な雰囲気を作りたくなくて一度休むともう、学校に行けなくなりました。

ただ、これを思い出すと同時に思い出すのが 特に嫌われてもない、友達も多い子が何故か1人で発表会で発表した事。 (※この時私は優しい子にグループに入れてもらえてぼっちじゃなかった)

その子は堂々と発表してた。その姿が私には凄く輝いて見えた。 私は何であんな風にできなかったのか、と思い出す度に落ち込む。

社会人も大変だけど「好きな人同士で」が無い分、ぼっちには楽…。

…暗い話で恐縮ですが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。