こんな人も生きてます。

強迫性障害を患う、とある主婦の日常。

とあるデブスの20年後。


そこは「俺にとっては凄い美人」とか 言ってほしかったロマンス…。

それなら締切りダイエットちゃんと 成功させろって話ですね、サーセン。

何の努力もせずに美人という 肩書きを得ようとした私が甘かったぜ…。

でも散々容姿貶された身としては 並になれただけでも 十分嬉しいんだ…へへっ…。

昔は酷かった…。

学生時代が一番酷かった…。 その頃に比べて20kg以上落ちたけど その痩せた内訳が

酷い食べ盛りを過ぎて-5kg 鬱で食欲無くなって-10kg 自転車通勤数年-5kg

というあまり参考にならない話。 ダイエットも色々試したけど 続かなくてねぇ…。

自転車通勤は環境の都合や 交通費の節約で始めた事だけど 結構楽しかったわぁ…。

そう言えば、社会に出ると 意外と皆、面と向かって 悪口を言ったりしない事に驚いた。

クスクス笑われたり 気づかれるように言われたり、 嫌味たらしい悪口を言って 反応を楽しむような真似は されなかったのね。

単に職場運が良かった だけなのかもしれないけど、 それが凄く楽だったわぁ…。

そして何だかんだで痩せると 若さ補正も加算されて 人当たりが結構変わった。

人は見かけが100%…とは 言わないけど、まあ 60%はあるよね…と思った。

後、恋をすると綺麗になる って本当だったわぁ…。 結構みだしなみに気を使う ようにもなるし…。

化粧とかも色々挑戦する 気になったりするし、 世界がちょっと変わるのよね。

まあ…美人にはなれなかったし 色々訳の分からない物患ったり、 何だりかんだり色々あるけど、

今は一応平和な生活を送れてる 元デブスがここにいます。

20年前の同級生達…。

励ましてくれたあの子も 平和な生活送れてたらいいなぁ。

「いつか悪口言う奴 見返してやろうね!」 とも言われた気がするけど

同窓会とか行く気 全くしないわぁ…。

自分が散々けなした人間が そこそこ良い人生歩んでたら 絶対「面白くない」 と思う人、いるでしょ?

だから彼らの中では私は 不幸で醜いデブスのままでいる。

その方が、お互い、幸せ。

私が登校拒否をやめた理由。・3(終)



以上が、私の登校拒否を始めた理由とやめた理由です。 今でも思います…あんな私とよく同じ部屋になろうと思ったな、凄いな…と…。

彼女と一緒にいる時も悪口やからかいを受けましたが 彼女は表立って庇ってくれたり、止めたりしてくれた訳ではなく、 かといって相手に同調する事もなく聞こえない物のように扱い、 私が情けない姿を晒しても、怒ったり蔑んだりするでもなく、 いつもと変わらない態度で接してくれた事が何より嬉しかった。

(あー…気にしなくてもいいんだ。私がイジめられてるのを知っても 一緒にいてくれるんだ。仲間に入れてくれるんだ。) と凄く気が軽くなった事を覚えています。

むしろ庇ってくれたり、止めてくれた後に彼女が仕返しされたりしたら… と、彼女が離れていってしまう事の方が怖かった。 傍にいてくれるだけでよかった。それだけで学校生活が楽しかった。

だけど実際、彼女が傍にいてくれただけでも色々守られていた気がする。 彼女と一緒にいるようになってから悪口言う人間や頻度は明らかに減ったし…。 (この辺は先生の助力もあったのかもしれない)

その後、彼女とは進学先が違ったので徐々に疎遠になってしまったのですが 彼女をきっかけにできた友達や、元々私を気にしてくれていた人達、 進学先で出会った友達等のお陰で、楽しい学生時代を過ごせました。 (からかいや悪口が止んだ訳ではないですが、それ以上悪化する事もなかったので)

そして、社会人になって彼女と偶然再会した時も あの時と変わらない笑顔を向けてくれました。

1人で堂々と発表会に出た子と彼女は、今でも私の憧れです。

私が登校拒否をやめた理由。・2


彼女は他のクラスの子が遊びに来たり、 同じクラスの子とも仲良く話したりもしていたので かなり友達が多かったはずなのですが いつも自分の席から動かない私の所に来てくれました。

休み時間にいつも自分の席に来てくれる友達がいる事が これだけ幸せな事なんだと思わなかったわ…。

そして自分がたまにその子の席に行った時も 笑顔で迎えてくれる事がどれだけ嬉しかったか…。

お昼ご飯食べる時も、授業の時も、遠足の時も ぼっちになる心配をしなくて無い…。

それだけでも学校に行こうって思えるのに 話も合う…アニメにゲームに漫画にラノベ! 色々聞いてくれたし、話してくれました。 それって凄く素敵で楽しくて嬉しい事。

彼女のお陰で、学校が家よりもずっと居心地が良い場所になっていきました。

2017.06.15 漫画の「進学」→「進級」に訂正しました。

私が登校拒否をやめた理由。・1


登校拒否になった理由を描いたなら、やめた理由も描かないとなーと思い もう少しだけこの話を掘り下げていきます。今週中に終わります。

この時は「○学生なのに留年!?本当に!?」で頭が一杯でした。 (その前の年はその年以上に休んでいたので尚更。) 怪我や病気等といった、やむをえない事情の留年ならともかく (こんな理由で留年になるのは絶対に嫌だ!!)と必死でした。

からかってくる人間に対しては (辛いよ…何でこんな事言われるの…?)から (お前らの都合で私の人生潰されてたまるか!) ぐらいの感覚に変わりました。 今と違ってSNSはおろかネットも広まっていない時代+暴力は無かったので 悪口とボッチ晒しさえスルーできれば私は登校できたのです。

改めて思い返すと、めっちゃゲンキンな奴です…。 私の場合結局「休んでいても何とかなる」という甘えがあったんです。 ダラダラ行ったり休んだりを繰り返す私の尻を先生が叩いた感じです。

ただ、留年と脅されただけではなくて、先生は先生なりに 私にとって少しでも過ごしやすいようしようとしてくれたのが感じ取れました。 少なくともこの時は休み時間に一緒に話す事ができるグループがいました。 多分先生が何か言ってくれたんだと思います。だから登校できたんだと思います。

登校拒否する以前にも話しかけてくれる子がいたり、手紙をもらったり、 何だかんだでグループに入れてくれる子がいましたが、 その時は仕方なく感というか、何処かぎこちなさがあって、 (先生から何か言われたのかな…)と捻くれた考え方しか出来ませんでしたが

先生から何か言われたのだとしても、それで仲間に入れてくれようとした、 私を助けようとしてくれた人の勇気や優しさが、確かにそこにあったのに。 「仕方なく(仲間に入れてあげる)」に対する劣等感や申し訳無さの方が強かった。 話しかけてくれる子に対してキョどってしまってちゃんとした返答が出来なかった。

過去を振り返ればイジメやぼっちに対する恨み辛みも勿論ありますが 当時の自分の性格の悪さと態度や黒歴史への反省や後悔も付きまとってねぇ…。

イジメられた記憶や感覚は徐々に薄れていってるけど あの頃の反省や後悔は一生消える事は無いだろうな。

イジメより怖かった事(暗い話なので注意)。


この頃の私はデブで体臭アリでだらしない服装で、でも見栄っ張りで卑しくて…と、 このような状態になるべくしてなった状態だったのですが…辛い物は、辛い。

正直、イジメにあっていた時期の細かい記憶がありません。 ただ、かなり嫌な思いをした事や「自分がした嫌な事」はハッキリ覚えています。 どうてもいい記憶より、むしろそっちの方を忘れたかったな…。

そんな事で登校拒否に?と思われるかもしれませんが ぼっち晒しの恐怖は、一度体験した人間じゃないと分からないと思います。 「クラスに仲のいい人が1人でもいれば防げる事でしょ?」 と思われるでしょうが、これがなかなか難しい…。

友達がいても、その友達に自分より仲の良い友達がいれば 人数制限のある好きな者同士の場合、ハブられる可能性がある訳で…。 相手にとっての自分の価値が垣間見えてそれがまた辛い…。 (ですよねーw)と脳内で明るく自虐してみても心はズタズタで…。

ずっと孤独だと孤独に慣れる?いいえ、人それぞれです。 少なくとも私はぼっち晒しされる度に孤独に弱くなりました。 あの自分のせいで流れが止まるあの空気、もう二度と味わいたくない。

しかも、好きなもの同士で~の頻度が高かった。 修学旅行とか、班決めとか遠足のお弁当タイムならわかるけど、 そんなの隣の席とか出席番号とかくじ引きとかでいいじゃんって 思う事も好きな者同士で、とか言われる…不意打ち晒し怖い…。

何故普通の授業の時にぼっち晒しの刑にあわないといけないのか…。 しかも先生、それだと確実に1人はみ出ますー!って時にも やってきたからね…そして面倒臭いって視線向けてくる…理不尽…orz

そして私がいない方がスムーズに授業が進むし、私も傷つかなくてすむ。 嫌な雰囲気を作りたくなくて一度休むともう、学校に行けなくなりました。

ただ、これを思い出すと同時に思い出すのが 特に嫌われてもない、友達も多い子が何故か1人で発表会で発表した事。 (※この時私は優しい子にグループに入れてもらえてぼっちじゃなかった)

その子は堂々と発表してた。その姿が私には凄く輝いて見えた。 私は何であんな風にできなかったのか、と思い出す度に落ち込む。

社会人も大変だけど「好きな人同士で」が無い分、ぼっちには楽…。

…暗い話で恐縮ですが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。